季語の絵日記

日々移ろう季節の出来事をつづりました。

私のブックレビュー ―空気の発見―

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『空気の発見』という本を読み終えて外に出ると、秋の虫の声。それは弱弱しくて、ますます哀しさを増しました。肌寒い。顔に当たる風は冷たいほど。昨日までこんなに寒くなかったのに。
いつになく空気につつまれていることを意識する帰り道。秋は始まったばかりと思っていたら、初秋も過ぎて、もう秋半ばでしょうか。

冒頭

『私たちは、私たちの周囲にある、紙でも、木でも、布でも、水でも、目で見ることができ、手でにぎったり、さわったりして、はっきり、それらがあることを知ることができます。しかし、風は目には見えないし、手につかむこともできないものです。けれど、つよい風が吹けば、ふきとばされそうになり、また、ときには、そよそよと、気もちよく頬をなでて行きます。ですから、私たちのまわりに、なにかが、うごいていることだけは、たしかにわかります。このなにかを、人々は、空気と名づけました。』

昔の人は、空気には重さはないと考えていました。空気に重さがあることを初めて見いだしたのはガリレオ・ガリレイです。

『ガリレイは、ガラスの大きいビンの中に、ポンプで空気をおしこみました。それをはかりにかけて、まず、はかりがつり合うようにしました。そうして、ビンの口をあけたところ、ビンのほうがかるくなって、おもりをのせたほうが重くなりました。これはおしこんだ空気の一部分がにげ出し、にげ出した空気の重さだけ、ビンが軽くなったためと考えることができます。』

本書は二部構成になっていて、第一部では、ガリレオ・ガリレイが空気に重さがあることを確かめて以降、様々な学者によって空気が研究され、その実体が解明されるまでの紆余曲折ストーリーが書かれています。
うんと簡単に解説されているのですが、化学式とか実験とか苦手だった私には、何だか分かるような分からないような、まあとにかく、空気という存在の正体が確かめられるまでには、とても長い年月がかかり、たくさんの天才達の努力と苦労があったのだと、第一部はさらっと流し読み。
おもしろいのは第二部。

第二部の冒頭

『第一部でくわしくのべたように、私たちには、大気が酸素と窒素およびわずかの二酸化炭素からできている混合気体であることがあきらかになりました。人々は、空気については、これでよくわかったものと考えて、十九世紀のおわりごろまで、空気をとくに、研究する人はほとんどありませんでした。ところが、十九世紀もおわりに近づくころ、空気中には、二酸化炭素より、はるかにたくさんの気体元素が、だれにも気づかれないままにかくれている、というおどろくべきことがあきらかにされました。』

空気にかくれていた「なまけもののアルゴン」や「太陽の物質 ヘリウム」の発見から始まる第二部は、ロマンある話や、私たちの身近なところで空気が果たす役割の話が描かれています。なかでも「空気にも色がある」の話がいい。なぜ空は青いのかについては、テレビで見て知っていたつもりですが、この本の解説はそれよりもう少し詳しくかかれていて、なるほど、青空は燦然と輝いているのだと知って感動。
ふだん意識しない「空気」に親しみのわく一冊でした。

さくらももこさんのエッセイ

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学生の頃、北海道から九州まで青春18きっぷを使って鈍行列車で旅をしたことがあります。東北地方はなかなか電車がこなくて、乗り換えに2時間近く待つこともありました。
確か秋田県だったと思うのですが、電車を待つ間駅を出て、少し町を歩いてまわると、電線にツバメが3羽とまっていました。その光景が何故かいつまでも心に残っているのです。
ツバメは渡り鳥ですから、冬の間南の方の国で過ごし、春になると日本にやってきます。3月のことで、その年最初に見たツバメだったのだと思います。旅をして新しい気分になった私の心と呼応したのかもしれません。

旅の途中さくらももこさんの『もものかんづめ』というエッセイを読みました。それがおもしろくておかしくて仕方なかったのです。ちびまるこちゃんの作者の書いたエッセイですから面白いのも当然ですが、電車の中で笑いをこらえるのに必死だったのを覚えています。
さくらももこさんのエッセイはシリーズでたくさん出ていますが、それきりで他の本は読みませんでした。本は何か学ぶために読むのだという意識があったらしく、娯楽の本はできるだけ避けていたと思われます。

「私のブックレビュー」では気軽で楽しいエッセイや紀行文などを紹介します。だからさくらももこさんのエッセイは是非。
ということで本屋で『さくら日和』を買って読みましたが、もちろんすごく面白くておかしい。
さくらさん35歳ごろの日常を描いたエッセイ。男の子が1人と父ヒロシと母との四人暮らし(夫と離婚した直後)。14つの話が収録されていますが、全部面白い。集英社の担当新福さんに感謝して奇想天外パーティーを開いた「おめでとう新福さん」、父ヒロシを同伴した社員旅行「台湾台風ふたたび」、息子が母親はさくらももこではないのかと疑いだした「深まる息子の疑惑」などはめちゃくちゃ面白い。
普段外で本を読むことが多いのですが、笑って読みたいから全部家で読みました。
「健康の研究」という話の中でさくらさんの健康マニア具合が紹介されていて、それもすごく面白いのですが、まだ 若くして亡くなったさくらももこさんのことを想うと、ちょっと切なくなります。

 

アイドルと巡る仏像の世界

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NHKで放送されている『趣味どきっ!』。10月の毎週月曜夜9時30分は『アイドルと巡る仏像の世界』というテーマ。実は9月からやっていたのだそうです。知らなかった…。
アイドルと巡る仏像かあ…。

10年ほど前、まだ全く仏像に関心がなかった私は、みうらじゅんさんがテレビで「仏像、仏像」と言っているのを「変わった人だなあ」と思いながら見ていました。
当時は仏像を見て楽しんでいる人なんて、変わり者にしか見えませんでした。数年後自分が、仏像を拝見することが何よりの楽しみで、仏像に手を合わせるのが何よりの幸せになっているとは思いもしません。

24歳の時、ふとお寺に行って仏像が見てみたいと思ったのです。しかしお寺参りすらまともにしたことがありません、お寺のお堂に入って仏像を拝見するのは何だかとても敷居が高いような…。
何かガイドブックにと思って図書館で見つけたのが、みうらじゅんさん・いとうせいこうさんの『見仏記ガイドブック』でした。やはりみうらさんの「仏像、仏像」が頭にあったので一番に目を引いたのです。
お二人は『見仏記』という仏像旅を三十年近く続けていらっしゃいますが、決して格調高き仏像鑑賞ではなく、極めて親しみをこめた仏像愛あふれるものです。あまりに親しみすぎてちょっと不謹慎なのでは…と思うところもございますが、お寺に行きたいのになかなか行けず逡巡していた24歳の私は、この本のおかげで仏像巡りを始めることができたのです。

仏像を拝見して楽しむというのは、ちょっとピンとこないかもしれません。これはお寺をいくつか回ってじっくり仏像に手を合わせてみないとなかなか分かりません。だからそのきっかけは、うんと気楽なものでもいいと思うのです。
『アイドルと巡る仏像の世界』。気軽で楽しそうじゃありませんか。
まだ放送を見ていないのですが、NHKのテキストとして『趣味どきっ!アイドルと巡る仏像の世界』が売られています。読んでみると、これがなかなかいい本です(内心ちょっとバカにしていた)。仏像の鑑賞方についてまんべんなく解説されていますし、けっこう掘り下げたことまで書いてある、それでいて分かりやすくて読みやすいし、写真もたっぷり。これは仏像巡りの入門の本としてとてもいいと思います。
明日夜9時30分からの放送も楽しみ。

私が『見仏記ガイドブック』をカバンにいれて初めて仏像旅をしたのは1月の奈良でした。仏像巡りの旬は、秋から冬。しんとした空気。冷たいお堂の床。白い息。仏像の前に立つと、なんだか涙がこみあげてきて、長い時間手を合わせたまま、立ち尽くしていました。

 

先延ばしは一冊のノートでなくなる

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「やらなきゃいけないけど、どうしても今日しなければいけないわけではない事」は、だいたい先延ばしにしていつまでもやらない。
この性格がどうにかならないものか日ごろ悩んでいるもので、本屋で平積みされていた『先延ばしは1冊のノートでなくなる』を放っておくことはできません。
ちょっと立ち読み。

『先延ばしもアクション(=行動)です。冷静に振り返ってみれば、私たちは、先延ばしを維持するためにものすごい努力をしていることがわかります。これは先延ばしにかかるコストともいえるのです。先延ばしをやめるのにも維持するのにもコストがかかります。あなたはどちらのコストを負担したいですか?』

確かに…。例えば、夕飯は冷蔵庫にあるおかずとご飯で済まそう。だけど米は炊かないといけないしなあ。面倒だなあ。まあいいや、外食にしよう。といって20分ほど歩いてカレーを食べに行く。私は努力家だ。だから先延ばしはやめられるのだ。今日の1冊はこれにした。

著者は目標実現の専門家として、オリンピック選手やトップモデル、ベストセラー作家などのサポートもしてきたかなり実績のある方だから大丈夫(ハウツー本をあまり信用していない私)。
先延ばしをやめる手順の解説はとても分かりやすく、まず「ぶっとんだ目標」をつくること、それから著者の秘策「行動イノベーションノート」を書くこと、それを基に行動すること。
重要なのは何とか先延ばしをやめようと頑張るのではなく、先延ばしをやめたくなるようなモチベーションのつくりかたです。つまりポジティブに楽しんでやれること。
で、さっそくいわれた通りやってみたら、ずっと先延ばしにしていた面倒なこと2つ、今日ちゃんとやりました。まあ本を読んだばかりで張り切っていましたから、これがずっと続けられるのか…。
だけどちゃんと続けられるテクニックも書いてあるので、これならやっていけそうです。
1週間ちゃんとやれたら「何かごほうび」というのも一つのモチベーション作り。よし、できたら来週はお寺巡りだ。

47都道府県女ひとりで行ってみよう

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毎週三冊本を買って読む。
私は途中まで読んでやめてしまうことが多いから、ちゃんと最後まで読める本。小説はあまり好きじゃないので主にエッセイと紀行文。休憩時間や移動時間に読むから、息抜きになるような本。難しい本はダメ。それから、つまらない本・くだらない本(失礼な言い方)もダメ。
予算は毎月一万円。

ふと思いついた計画を携えむかった本屋さん。
最初に手にしたのが『47都道府県女ひとりで行ってみよう』。

 

冒頭

『日本には47都道府県もあるのに、全部行かないのはもったいないなあ。
というわけで、ひとりで全部行ってみることにした。目標は月に一度の旅。
毎月毎月、東京からフラッと行くことにしよう。月に一度の旅で、47都道府県まわると4年かかるが、別に急ぐこともない。何かを学ぶ、などにはこだわらない「ただ行ってみるだけ」の旅。』

旅の始まり、青森県を読んで、すぐ決定!私の計画条件にピッタリ。
満喫しなければいけないと気負ってする旅でなし、ふらっと気軽なひとり旅。これがまた私の好み。
ちゃんと下調べせずに出かける著者の益田ミリさん(当時33歳)、目的のイベントが終わっていたり、予定の場所にたどりつけなかったり、ただただ疲れておわったり…。
分かるなあ。だけどそんなことがかえってすごく思い出に残ったり。不思議なものですが、旅情は旅先のほんのささいなところに生まれるのです。

47都道府県、とにかく全部行く!
すごく充実した旅もあれば、そうでない旅もある。けれど、どれも思い返せば楽しかったなあと感じるような旅。
と、後半にさしかかる頃にはすっかり感情移入してしまい、40県をこえたあたりから思う、日本にもっと都道府県があればなあ…。
とうとう47都道府県おわった時は、何だか最初のころの旅がとてもなつかしい…。

各県の最後のページに、その旅で使ったお金(交通費・宿泊費・食べたもの・娯楽・お土産等の詳細)と旅の1シーンの四コマまんが(著者はイラストレーター)が載っているのも楽しいです。

 

私のブックレビュー

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お寺参りが好きなものですから、本というと仏教とか仏像関係のちょっと小難しい本ばかり読んでいます。面白くて夢中で読みますが、いわば勉強、そのうち頭がくたびれてくるのです。

ちょっと一息つきたい時に読むような、気楽な本が欲しいなあ。そう思って本屋に行くと、あれもおもしろそう、これも楽しそう。
しかし気楽な本といっても本一冊読めば本一冊分きっと賢くなるのだ。これは無駄使いではない。決めた、毎月一万円分本を買うことにしよう。
文庫本メインだから週三冊くらいかなあ。せっかく買うんだからつまらない本じゃあもったいない、本選びは慎重に。本屋をぐるぐる三周して三冊を決めた。
本は読む楽しみもいいけれど、手に入れた時の喜びがまたいいですね。普段古本屋でしか買わないので、新品の本をカバンに入れると、帰りの電車も何だか嬉しい気分。

ということで、「私のブックレビュー」と題して読み終わったら随時紹介していきたいと思います。
今日は時間もないので、私の旅のお供、「俳句歳時記 秋」をちょっとご紹介しておしまい。
俳句の季語の説明と俳句例を載せた歳時記の本はいろいろありますが、一番定評があるのが角川の歳時記。
散歩、小さな旅で発見した物・事・匂いや空気・気温。秋はいいなあ、と思ったらきっちり歳時記にのっているのです。日本人の季節を感じ取る感覚って本当に繊細です。
春夏秋冬の合本版もありますが、季節ごとの文庫版が持ち運ぶなら便利、私のカバンには常に入っております。

茶の湯の壁

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美術館が好きです。
絵画もいいですが、一番は茶道具の展覧会。

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奥深い茶道具のわびさびの世界を私が理解しているとは思えませんが、しかしとにかく茶道具の名品を見ていると、興奮してしまって居ても立ってもいられない。もちろん美術館の中、ましてや茶道具の展示なのですから、外面は非常にもの静かに見物していますが、もう内心はぶるぶるしているのです。
手のひらに収まるほどの小さな道具一つに、これだけ人の心を動かす力があることに毎度ながら驚きます。

そんな茶道具が大好きな私ですが、茶道のことはまるで知らないのです。茶道と聞くと「お茶の一杯にそんな大仰なあ」とひそかに思っているくらい。

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しかしお茶をたてる様子をテレビで拝見すると、一つ一つの所作が美しくて、つい見とれてうっとりしてしまう。問題は頂くほうにもみっちりと作法があること、これに参ります。
おてまえ拝見して、こちらのほうは不作法にがぶりと頂けるのなら、茶の湯もいいのになあ…。

秋どりキュウリは何だか哀しい

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キュウリの黄色い花が咲いています。花にまじってすでに大きなキュウリとなったものもあります。秋に収穫する秋どりキュウリというのがあるのだそう。しかしやっぱりキュウリは夏のものだなと思う。秋どりキュウリはちゃんと秋に実ったわけですが、何となく夏に取り残されてしまったような、もの哀しい様子でぶらさがっているのです。

池のほとりでスケッチする秋


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秋。橿原神宮の池のほとりのベンチにこしかけ、水面や木立、畝傍山など眺めれば、ベレー帽をかぶって写生でもしたくなるのは皆同じのようで、キャンバスや画帳を前にスケッチする姿が点点と見られる。これがまた秋の心をくすぐるのであります。

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今秋は始まったばかり。草木は青々としていますし、カメはゆうゆうと甲羅干し。カモもまだ少ない。ただ風と影の様子が、ようやく秋にさしかかったことを知らせたところです。
こうして座って木立を映した池の水面がきらきら光りながら、ゆっくりとさざめくのを見ていると、どこまでも穏やかな気分になります。
秋は寂しい季節ですが、橿原神宮の秋はのどかで美しい。もう少し近所に住んでいれば、秋の間中週末をここで過ごしたいものです。

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夕日が差せば、水面の光も空気の色もあまりに美しくて、絵よりも美しい絵のような景色、私ならもうあきらめて筆を置いてしまうでしょうが、キャンバスを立てた人は画家なのか、少なくとも本格的に絵を学んだ人なのでしょう、いつまでもせっせと筆を動かして、この美しい風景を写し取っているのでした。

龍穴神社と黒いヘビ


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室生寺参詣を終えて帰りのバスはまだまだ来ない。
室生川に沿って上流に歩けば、龍穴神社があります。

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りゅうけつ神社。このすごい名前に引かれてやって来ましたが、私はもっぱらお寺参り、神社への関心はどうも薄いのです。奥へ進めば「龍穴」なる岩の裂け目もあるらしいのですが、時間もそうありません、とんぼ帰りに帰りかけますと、鳥居の上からハラリと落ちるものが。

見ると三センチほどのヒメカマキリのメス。その上にさらに小さなオスがのっかっています。ヒメカマキリはちょっとめずらしい。私が目にするのはこれが二度目。
カマキリ(蟷螂)は秋の季語で、秋になると道端に出てきてよく目にするようになります。そういえば、今朝は家の近くで人に踏まれてしまったハラビロカマキリを見ましたし、この後オオカマキリが道路に出てきてひかれそうなのを、脇の草はらに逃がしてやったのです。カマキリを助けるのは私の秋の風物詩であります。

さて龍穴神社の帰り道、石垣の草やぶでガサガサとなりますので、何かと思って見ると、黒いヘビ。これはシマヘビの黒化型でカラスヘビと呼ばれますが、ヤマカガシ・マムシといった毒蛇の黒化型もまれにいるそうなのでうかつに近づいてはいけません。
カラスヘビはするするとやぶの中へ入って行きました。

帰り道「俳句歳時記」を見ていると、秋の季語に「蛇穴に入る」。

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穴に入るとはつまり冬眠することで、ヘビが冬眠するのはもう少し秋の深まったころですが、古来ヘビは龍と同一視されるもの、「龍穴神社参拝の帰りに黒ヘビの穴に入るを見る」ことを書き留めるのです。

ホットコーヒーと秋の朝

 

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朝はもうすっかり涼しくなって、朝食を済ませた後ホットコーヒーを飲みながら本を読むのが至福のひととき、「秋は夕暮れ」といいますが、夕暮れはとても哀しいから、やっぱり「秋もつとめて」ゆっくりすごす時間が一番いいのです。

女人高野でうつむいた


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 室生寺は奈良から三重へと続く山中に建つ名刹。女人禁制だった高野山に対し、女人の参拝が許されたこのお寺は「女人高野」と呼ばれました。

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前を流れる室生川の水は澄んで綺麗です。
私が室生寺にお参りする時はいつも雨、室生川の水も濁っておりましたが、今日は秋の水、水澄む、久しぶりの室生寺参り。
しかしからりと晴れた日の境内は、小雨降る室生寺のつややかな情緒に遠く及ばず、金堂へと続くあの素晴らしい石段は乾き、なんと味気ないこと。いや、味気ないのは私のこころ、実際今日、新しくできた宝物殿で拝見した釈迦如来像にも、弥勒堂の弥勒菩薩像にも強く感激しているのに、その感動をまるで喜べないほど、私の気持ちは干からびていたのです。
うつむき加減でお寺を出れば、帰りのバスまでずいぶん時間が余り、川沿いをしばらく散策してもまだ余り、川辺に降りることができるところに行って石にこしかけ、しばらくぼーっと水の流れるのを見ておりました。

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秋の水。なにかの稚魚がたくさん泳いでいます。小さなハゼのような魚が石にへばりついています。石の隙間でちっちゃい枯葉がヒラヒラとゆれると思ったら、これはヤゴの抜け殻です。
水で暮らしていたものが、ある日空での暮らしを始める。それは大きな飛躍のように思われますが、水澄み、空気も澄み、羽さえ手に入れれば、それほど変わったつもりもないのでしょうか。

すすけてしまった仏さま

 

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仏像を彫る人のことを仏師といいます。仏師のなかでも運慶と快慶(二人は康慶という仏師の弟子で平安末から鎌倉にかけて活躍しました)はとりわけ有名で、運慶が力強く躍動的な仏像の名手であり、快慶は静かで端麗な仏像のつくり手でした。

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今日は奈良の田原本にある安養寺に参詣してまいりました。快慶作の普段拝見できない阿弥陀如来像が特別に公開されているのです。
三尺(90cm)たらずの小さな仏像ですが、快慶作とあってもちろん、つま先からお頭の頂、衣のしわの細部まで抜け目なく見事に美しい彫りよう。
ところがもともと金泥(膠でといた金粉)がぬられていたこの仏像が、今は真っ黒。
かつてこの仏を前に護摩法要が行われ、わんさか火をたき木札を燃やしたので、すすで黒くなってしまわれたのです。すすけたお姿は不動明王の忿怒の形相には似つかわしくても、快慶仏の美しいが上にも美しいお姿には不似合いで、とても恐い表情に見えてしまいます。

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ガイドの方が仏像の説明をしてくださっている間私は、湿したやわらかい布ですすをきれいにぬぐってさしあげることができたらどんなにいいだろうと思って眺めていたのです。

秋の虫と電気スタンド

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今年は秋の虫がたくさん鳴いています。それは私にとってであって、実際には例年通りなのかもしれません。
秋の情緒を演出する筆頭役を担う夜鳴きの虫たちですが、これまでただひとくくりに秋の虫とまとめてしまっていたのを、一体どんな虫が鳴いているのか気になり出して草はらに耳を傾ければ、まあたくさんの虫の声。

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その声を何とか文字に起こそうと、苦心してカタカナにあてはめてみると、

「ビーーーーーーー」
「チッチッチッチッチッ」
「ギリッリッリッリッリッ」
「リリリリリリリリリ」
「ヒョロロロロロロロロ」
「ジジジジジジジジジ」
「チッチリ チッチリ」
「ヴィッヴィッヴィッ」
「ブリューブリュー」
「キュキュキュキュキュ」

図鑑で紹介される鳴き声とはおよそ違っているのでしょうが、いったんカタカナにしてみると、それから後は確かにそんな風に聞こえるのですから面白い。
その他にどうひねりだそうにも文字にならなかった声が3、4あったでしょうか。いずれももの哀しい秋の音色です。

このうち チッチリ チッチリと鳴くのは毎年夏の終わりになるとわが家の壁にとまって鳴く虫です。
姿は見たことがありません。ただ夏の終わりに鳴く虫と呼んでいる虫です。

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この チッチリ チッチリと高く綺麗な声が聞こえると、部屋の明かりを消して、電気スタンドの光で虫の音を聞きつつ随筆など読むのがいいのです。毎年これがその年最初の私の秋の楽しみです。

耳学問

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ちょっと小耳に挟んで得た知識、何かの本で読み部分的に知っている知識を「耳学問」というのだそう。
古事記っておもしろそう、と思いつつこれまでちゃんと勉強したことはなし、国生み、天の岩戸、ヤマタノオロチ退治、因幡の白うさぎ、国引き、ヤマトタケルの東征…。全部耳学問のかじり知り。
古事記がややこしい一番の理由は何より名称で、舌がからまりそうな神々の名前が容赦なく連続するのでたちまちお手上げ。

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だから本屋で阿刀田高さんの「楽しい古事記」の最初のページに
「この二人より先に五神と六代、都合十五人の神々の名があるのだが、いちいち揚げるのはややこしい。古典はおもしろい部分から入門するのが私のモットーだ。それゆえに五神と他の六代は省略。イザナギの命、イザナギの命のエピソードがひときわ内容が豊富で、肝要である。」
とあるのをみて、これなら、と思い購入。
おもしろいところをかいつまんで面白くお話しいただくと、なるほど古事記は楽しい。とくに神話性豊かなエピソードはどれもすごく楽しい。
この本は古事記の解説と、著者が古事記ゆかりの地を訪ねたエッセイをおりまぜた一冊。

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私の耳学問の古事記は一歩進んで、あと二歩も進めば、いよいよ古事記について詳しく勉強してみるつもりである。
古事記入門の入門として
「楽しい古事記」阿刀田高 著